ABOUT

>>>私たちについて
遡ること二百年、江戸時代に長崎の遊女がオランダ人より「しょこらあと 六つ」を貰い受けました。日本では決して手に入らないだけでなく、未だ誰もそれを口にしたことがないものでした。

遊女はどれほど驚き、喜んだことか。そして彼女が喜ぶ姿を見たオランダの商人も、それは誇らしかったことでしょう。

私たちは、古き心を継承しつつ、現代的な贈り物の姿を見つめていきます。そして「江戸のしょこらあと」から「TOKYO CAKE」へ。


>>>ガトーショコラについて
"Gateau au chocolat"とは「チョコレートの焼き菓子」の意。フランスだけのものではありません。実際に、フランスのフォンダンショコラ、ウィーンのザッハトルテ、アメリカのブラウニー、そして日本のガトーショコラなどはどれも、"Gateau au chocolat"の形のひとつです。

日本で最初にチョコレートを口にしたのは、長崎の遊女であると言われています。寛政九年に「しょこらあと 六つ」をオランダ人より貰い受けたとの記述が残っています。やがて時代は変わり、明治/大正の世となり、チョコレートの工業生産が日本でも始まります。森永商店(現:MORINAGA)、不二家洋菓子店(現:FUJIYA)、東京菓子(現:MEIJI)などがチョコレートを販売するようになりました。

日本でガトーショコラと呼ばれるケーキが生まれたのは、1980年代になってからのことで、日本にとっては非常に現代的な焼き菓子です。ザッハトルテと比べると、150歳ほど若いケーキだと言えます。

日本は外国から持ち込まれた文化を編集する力に富んでいます。そんな編集の文化から生まれた日本のガトーショコラたちは、他国のどんな Gateau au chocolatとも違いながら、日本の文化の文脈の中で、追求され続けているのです。

TOKYO CAKEのガトーショコラも、そのひとつです。さっぱりとして後に残らない、風のような甘さに乗って運ばれてくる、カカオとすみれリキュールの香り。時間差で広がる香りの波を、目を閉じてじっくりと味わってください。珈琲とも、お茶とも、そしてお酒とも、よく合います。

食べてしまえば、ガトーショコラは一瞬です。そんなものかといえば、そんなものなのです。しかし、その一瞬にこだわり、作り手は、何年も試行錯誤を繰り返します。洋菓子の歴史とは、人間の苦労の輝きそのものです。今、あなたの口で溶けて消えてしまったものは、儚くて、尊い、人の夢の結晶といえるのかもしれません。